トップページ | 全エントリー一覧 | RSS購読

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

Related Posts Plugin for WordPress, Blogger...
Related Posts Plugin for WordPress, Blogger...
トラックバック
トラックバック送信先 :
コメント
Related Posts Plugin for WordPress, Blogger...
Related Posts Plugin for WordPress, Blogger...

書評:ゲームの父・横井軍平伝 任天堂の DNAを創造した男(後編)

やっとこさ後編に辿り着きました。

5章6章の内容に入っていきます。


何も考えずに始めたもんだから書ききるのがすごく大変だった…。
今度からはもっと簡潔に書きます…。


今日はファミコンのヒット後の時代からになります。


 ・ファミコンのヒット でも胸中は複雑

ゲーム&ウォッチ、アーケードのゲームに続き、
ファミコンでもヒットを飛ばした任天堂は「世界のNintendo」となりおおせます。
しかし、横井さんの胸には複雑な思いがありました。


一つは横井さんがファミコンに関わっていない点が挙げられます。

ファミコン開発の中心人物になったのは「上村雅之」さんという方で、
シャープから任天堂に転職された技術者です。

横井さんがファミコンに関わったのは、インジェクション(押すとカセットが取り出せる)や十字キーくらいで、
主な仕様は上村さんの開発チームが主導となって決めていました。


そしてもう一つは、子供たちの遊びが横井さんの理想とズレ始めてきてしまったという点があります。

横井さんにとっての遊びとは、何人かが集まって顔を付き合わせながら行うもので、
メンコやベーゴマなどの伝統的な遊びが横井さんの原風景だと思われます。

したがって、部屋にこもってテレビの画面とにらめっこしている姿は、
横井さんからするとなじめないものだったのです。


電子的な遊びを伝統的な遊びと結び付けられないか・・・。
そんな思いが次なるヒット作「ゲームボーイ」を生み出します。



 ・対戦できなきゃしょうがないじゃないか

ゲームボーイ(旧タイプ本体)
初代ゲームボーイ


もはや「ゲームボーイ」を知らない人はまずいないでしょう。
20代以上の人ならほとんどの人がプレイ経験があるはずです。
ポケモンが初めてリリースされたのもゲームボーイでした。


ゲームボーイは全世界で1億1800万台(カラー含む)もの売上を誇り、
DSに販売台数で抜かれるまでは世界一の売上を記録していたゲーム機です。
また、GBAが発売されるまで10年以上も現役で稼働していたハードであり、
ここまで長く使用されるゲーム機というのも他に例がありません。


GBのヒットの秘訣は「通信対戦」ができることにあります。
GB同士を通信ケーブルでつなぐと、友達と対戦できるということができます。
例えば、ポケモンで友達と交換したり、対戦した経験のある人は多いと思います。

いまや携帯機には必須の機能であり、ワイヤレスでできるようになりましたが、
通信機能の重要性は何ら変わることはなく、むしろ強まっているのではないかと思います。

横井さん自身は通信機能をそれほど深く考えて入れていたわけではなく、
「大してコストはかからないし、付けておけば何か面白いゲームができるかもしれない」
という希望的観測に基づいて搭載したそうです。

しかし、GBの開発コストは非常に厳しく、余分なものは徹底的に削る方針でした。
通信機能が削られなかったのは、
ひとえに横井さんの「対戦できなきゃしょうがないじゃないか」という考えがあったからに他なりません。


ゲームボーイで対戦するときは自然と人と向き合う姿勢になります。
すると、自然と相手の表情と画面を見ながらプレイすることになります。
みんなで集まって顔を突き合わせながら遊ぶという横井さんの理想の一つがここに実現しました。



 ・「遊びの本質」はモノクロでも変わらない

GBの液晶はモノクロですが、当時でもカラー液晶は存在しました。
やろうと思えばGBもカラーにすることができたのです。
実際、1990年にセガから発売された「ゲームギア」はカラー液晶でした。
しかし、結果はGBの大勝に終わっています。


では、なぜGBがモノクロ液晶を選んだかと言うと、
一つには稼働時間の問題があります。

カラー液晶はバックライトがないと非常に見づらくなります。
このバックライトの維持に電力を非常に食うため、
稼働時間が長持ちしないという欠点があったのです。
事実、ゲームギアは「単三アルカリ電池6本でたったの3時間」しか稼働しませんでした。
また、当然開発コストも上がります。

携帯ゲーム機は外に持ち出して使うことを想定していますから、
長く動かなければなりません。
そのため、GBはモノクロ液晶を選択したのです。
その結果、初代GBは「単三電池4本で35時間」という圧倒的な稼働時間を実現したのです。


また、もう一つ理由があります。
横井さんはモノクロでも遊びの本質は変わらないと考えていたからです。

白黒で雪だるまを描いても白いと認識できますし、リンゴなら赤いと感じます。
わざわざカラーで描かなくても人間は勝手に頭で色を認識するのです。

実際のゲームにしてもそうだと思います。
「スーパーマリオランド」にも色は付いていませんが、
やっていることは「スーパーマリオブラザーズ」と変わりません。
右に進んで、ゴールにたどり着くという目的も変わらないし、
ジャンプアクションの軽快さ、楽しさはカラーに決して劣りません。


ゲームの本質は「アイデア」によるものですから、
グラフィックが重視されないGBではアイデア勝負のソフトを出しやすかったのではないでしょうか。
複雑なゲームでなくともアイデアさえ良ければヒットが狙える、
そういう環境なら、ほかのメーカーも参入しやすくなるし、
そのなかから光るソフトが生まれてユーザーに新しいゲーム体験を与えてくれるかもしれない。
そのようなメリットも生まれやすいのではないかと思います。

実際、GBで一番売れたソフトは「テトリス」です。
それまでの落ちモノパズルは、早消し競争やスコアアタックなどの競争はあったものの、
相手に直接攻撃するタイプのゲームはありませんでした。
しかし、GBのテトリスでは通信対戦でお邪魔ブロックで相手を攻撃できるようになっています。
この「攻撃型対戦」というアイデアを搭載したこのソフトは、
GBのローンチソフトでありながら最終的に424万本を売り上げ、
GB普及の牽引役を果たしてくれました。



 ・ゲーム機の進化に懸念

近年の日本のゲーム市場は減少傾向にあることはすでに書きましたが、
横井さんは将来そうなるのではないかという懸念を90年代半ばには感じていました。
恐るべき洞察力と言えます。


しかし、単に本能的に感じていたわけではなく、
FCからSFCへの移行に際して、ゲームについていけなくなった人がずいぶんいることに横井さんは気が付いていたのでした。「このままの路線でいくとN64でも同じことが起こる」。そう予感していたようです。

その後のゲーム業界がどうなっていったかは先述したとおりです。
表現自体はリッチになりましたが、その分ゲームは複雑化し、
新しくゲームを始める人にとっては難しいものが増えました。


ゲーム機の進化と言っても、極端に言えば画質や解像度が向上しただけです。
テレビを思い浮かべると分かりやすいかと思います。
テレビも大型になり、画質もよくなりましたが、肝心の番組の方はどうでしょう。
昔と比べるとつまらなくなったという意見もよく耳にします。

ハードの性能はゲームの面白さには関係がなく、
結局のところゲームは「アイデアありき」です。


ハードの進化により、グラフィック周りの製作が難しくなった分、
アイデアだけで勝負するのが困難になった面もあります。
横井さんの弁を借りるとすると、「絵づくりが得意なところがのしてくる」状態になりました。
FF7のヒットはある意味それを象徴するような出来事でしょう。



 ・置き土産になるはずだった「バーチャルボーイ」

バーチャルボーイ (本体) 【バーチャルボーイ】
バーチャルボーイ


横井さんは50歳になったら会社を辞めて好きなことをするという目標がありました。
バーチャルボーイはその置き土産になるはずだったのです。
・・・しかし、バーチャルボーイはセールス的には完全に失敗でした。
全世界で77万台ほどしか売れなかったのです。


バーチャルボーイは赤黒で描かれた画面内で立体表現を実現しているハードです。
しかし、ゴーグルを覗き込んでプレイするというスタイルのため、
他人からはゲームの面白さが見えにくいということが弱点になってしまっていたのです。
また、ソフトに関しても1人用のものがほとんどであり、
他人と面白さを共有しにくいのも普及を妨げた要因です。


バーチャルボーイは知る人ぞ知る超マニアハードと一般的には解されているのですが、
むしろ横井さん自身はバーチャルボーイをゲーム初心者に遊んでもらうことを想定していたそうです。


横井さんが作る玩具は「空間」が一つのキーワードになっています。
初期のウルトラシリーズなどは子どもたちが部屋や外などの「空間」に集まって遊ぶものでしたし、
ゲーム&ウォッチやゲームボーイなども、外に持ち出せる強みが活かされた結果、
ゲームがコミュニケーションツールになるなどの現象を生み出しました。
横井さんは空間に遊びを持ち込むことで、それらの化学反応が起こることを期待していました。


横井さんがバーチャルボーイで表現したかったのは「暗闇」です。

今でも田舎やキャンプ地に行くと、夜は真っ暗闇であることが珍しくありません。
その暗闇はどこまでも延々と続いていそうな感覚を我々に与えます。
しかし、それだけにどこまでも広大なものでもあります。

横井さんは暗闇という広大な空間を表現するために3Dを「手段として」使ったのです。
昔子どもが広々とした野山や原っぱを駆け回っていたように、
バーチャルボーイでテレビという枠を飛び出し、はるかに広がる暗闇の空間を使って遊びを実現したい。
そのような思いが込められているのではないでしょうか。


この辺の話はうまくまとめられる自信がないのでぜひとも本書をのぞいてみてほしいと思います。
(それじゃ書評の意味がないだろというツッコミはご勘弁!)


バーチャルボーイは商業的には失敗でしたが、
製作者が自らの経験と哲学に基づいた思いが込められていることだけはご理解いただきたいと思います。



 ・最後のご奉公 ゲームボーイポケット

ゲームボーイポケット グレー
ゲームボーイポケット


50歳を過ぎたら会社を辞めて好きなことがしたいと横井さんが述べたのはすでに書きました。
しかし、バーチャルボーイが不振に終わったため、まだやめるわけにはいかなくなりました。

「失敗したら辞任するというのは責任を取ることにはならない」と横井さんは考えていましたし、
山内社長も、失敗したらそれ以上のものを取り返さなければ決して許さないという思想の人だったからです。

しかし、自分に残された時間は少ない・・・。
そう考えた横井さんは、GBを小型化するというある意味手っ取り早い方法を思い立ちます。


初代ゲームボーイを見たことがある方は分かりますが、
初代GBはけっこう分厚いものでした。
電磁波対策のための部品などが組み込まれていたそうなのですが、
後に必要がないことが分かり、また、電池もより強力なアルカリ電池が登場し、
単四電池2本で稼働できるようになりました。

これにより、今までカバンに入れて持ち歩いていたGBが、
文字通りポケットサイズになり、より気軽に外に持ち歩けるようになりました。


また、ソフト面で風が向いたのも大きな助けになりました。
96年に初代ポケモンが発売され、口コミとともにメガヒットを記録し、
沈滞化していたゲームボーイ市場が再び活気づくことになりました。

このゲームボーイポケットのヒットにより、
横井さんは無事任天堂での最後のご奉公を終えることができました。



 ・任天堂退社 株式会社「コト」設立へ

GBポケットの発売を見届けた横井さんは任天堂を退社し、
休む間もなく自らの新しい会社「コト」を設立します。
コトは現在でも存続しており、
会社のホームページ左上の会社ロゴの横には「枯れた技術の水平思考」の文字が書き連ねてあります。


かねてより任天堂は巨大な組織となっており、
もっと小回りのきく仕事がしたいと思っていた横井さんは自分で会社を興したのです。



 ・遺作となったワンダースワン


ワンダースワン

ワンダースワンは1999年にバンダイから発売された携帯ゲーム機で、
4,800円という驚きの低価格で市場に投入されました。
翌2000年にはワンダースワンカラー、2002年にはワンダースワンクリスタルというシリーズも発売され、
シリーズ累計で350万台を売り上げました。

流石に国内だけで3200万台以上を売り上げたGBにはかなわないものの、
FFの移植などで一定の人気を築き、GB一強時代の中ではそこそこ健闘しました。


ワンダースワンの最大の特徴として、
画面を横にも縦に使えるという点が挙げられます。

例えば、マリオのようなアクションゲームであれば、
本体を横に持って遊ぶことができるし、
テトリスのような落ちモノパズルであれば、
縦に持って遊べるということが可能になっています。
スマートフォンの画面が横にも縦にも使えるのを先取りしたような機構ですね。


また、あまり知られていない試みですが、
「キュート」という会社から、「ワンダーウィッチ」というワンダースワンの開発キットが16,800円で販売され、
アマチュアがゲーム開発に参入することができました。

キュート主催でプログラムコンテストも開催され、
最優秀作品は製品化もされました。

しかし、翌年にはワンダースワンカラーが発売され、カラー化に伴い開発が難しくなったほか、
ワンダースワンの普及が進まないこともあって、残念ながらこの試みは下火になってしまいます。

ただし、アイデアとプログラミングの技術があれば誰でもゲームを開発できるチャンスがあったという点では、
非常に意義の大きい試みであったと感じます。
現在スマートフォン市場で多くのクリエイターがプロ・アマ問わずアプリを開発し、
発表していることを考えると、
ワンダースワンにおける試みは非常に先進的なものであったと言えるでしょう。


しかし、横井さん自身はその光景を目にすることはありませんでした。
1997年10月4日、北陸自動車道での事故に巻き込まれ、この世を去ってしまったのです。
享年56歳。早すぎる死でした。
ワンダースワンは横井さんが手がけた最後の遺作となったのです。



 ・終わりに

「枯れた技術の水平思考」「ゲームはアイデア」という考えは、
任天堂を形成する大きな土壌となっており、ゲーム開発を支えています。

また、「十字キー」や「通信プレイ」は今のゲームには欠かせないものになっています。
今日のゲームはどこかしら横井さんの影響を受けていると言っても過言ではないでしょう。

宮本茂さんが「ビデオゲームの父」であるならば、上記のような理由から、
横井軍平さんは「ビデオゲームの神様」と言えるのかもしれません。


ゲームが複雑化し、肥大化してしまった今だからこそ、
アイデアを駆使した誰もが楽しめるゲームを作る必要性があるのではないでしょうか。
「枯れた技術の水平思考」は、業界の今を見直す上で重要な指針となることは間違いありません。


今回は横井さんが開発してきた玩具を中心に焦点を当てましたが、
本書では開発当時の横井さんの心境や、開発に至る背景などがより詳細に記述してあり、
任天堂ファンならずとも興味深い一冊であることは間違いありません。
ゲーム業界を振り返るという意味でも、商品開発のヒントを得るという意味でも、
ぜひ参考にしてもらいたい一冊です。



 関連記事
・書評:ゲームの父・横井軍平伝 任天堂のDNAを創造した男(中編)
・書評:ゲームの父・横井軍平伝 任天堂のDNAを創造した男(前編)


よろしければポチッとな
にほんブログ村 ゲームブログ ゲームの世界観へ

Related Posts Plugin for WordPress, Blogger...
Related Posts Plugin for WordPress, Blogger...
トラックバック
トラックバック送信先 :
コメント
Related Posts Plugin for WordPress, Blogger...
Related Posts Plugin for WordPress, Blogger...

プロフィール

こひきち

Author:こひきち
ゲームについて思うことを語ったりゲーム音楽について取り上げています。
任天堂成分多め。
岩田社長のファン。


姉妹サイト「会社員失格」もどうぞよろしくお願いします。

twitter_32.pngトゥイッターもやっています。

最新記事

おすすめ記事

カテゴリ

月別アーカイブ

アクセスカウンター

最新コメント

トゥイッター

リンク

邪魔にならない程度の広告

検索フォーム

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。